復帰戦のいちご
沢山の方からとても楽しみにしてもらってます。
いつも買いにきてくれる方。
初めての方。
応援してくれる方。
いつもありがとうございます!
こういった方にいちごを通じて、どの様な価値をお届けできるのか?
という事を考えました。
美味しいは入り口
これまでは「美味しいでしょ?」という前提でした。
だから美味しくなくなった瞬間、言葉は悪いですが用無しです。
だからいつもプレッシャーで体を壊したのかもしれせん。
でも一年休んで自分が嬉しいと感じたのは
「待ちます」「来年必ず来るから」
この言葉に救われました。
そしてそこまでしてくれる理由は美味しいだけでは生まれません。私は実は美味しいの先にある何かを提供できていたのではないか?と考えるようになりました。
今ブランディングをお手伝い頂いてる方に森さんの強みはなんですか?
そう聞かれるのですが技術目線ではありましたが、それをやる理由はもっと奥深くにありました。
昔の事ですが
いちごが泣くほど嫌いな子供に美味しいと喜んでもらえた。
森さんちのいちごじゃないと。とわざわざ足をはこんでくれたり。
これがモチベーションでがんばれました。
一方でいちごが嫌いになるほどの品質を届けてる人がいるのです。
実際。形、大きさしか評価できないシステムが青果の世界にはあります。
私は農業外から入ったので流通の人の為にエンドユーザーである生活者に届けたい商品になっていない。という矛盾を漠然ともっていました。
それを話していたら、ある時に森さんが社会に届けたいのは
「食の価値を届けたい」のですね。
とズバッと射抜いてくれました。
食の価値
京都吉兆にいちごを採用していただいた時、料理長が凄く推してくれました。
各店舗の料理長や幹部の方が集まる会でも使って頂き、総料理長兼社長にお礼状をいただきました。
おそらく農家初です。
そして「全面的に応援する」と名前の使用を許可してくれました。
紹介していただいた方が
「異例です。本来、もし森さんが何か悪い事があったら被害を被るので嫌がるのですが、相当応援してくれてます。」
と教えて貰いました。
見えない価値
私が提供できているモノ、コトを考えました。
私のいちごが凄い所は
大粒だけど大味でなく凄く美味しい。
一粒を一口では食べきれない。数回食べないといけないのですが、部位で味が変わります。
私のいちごは美味しいを、通じて大きさに驚き、一粒の味の変化を楽しみ、最後の甘みの後、食べ終わっても香りと口残りの余韻に浸れる。
食べていただいた方に嬉しい時間を長く提供できます。
だから心を満たす事ができるので、心からのありがとう。を多くいただけるのだと思います。
食べ物が身近になりすぎて有り難みがなくなり、物量だけが評価される世界で、エンドユーザーの心まで考えている食べ物が残念ながら減っています。
私は「食の価値」を通じて
食べ物が生活者に
「今日のご褒美」
「大切な方への心配り」
「心からのありがとう」
「明日頑張れる活力」
を、届ける為に農業をしていたんだと思います。
あの時小さな子供が泣くほど嫌いな食べ物を大好きに変えた時に道が変わったんだと思います。
子供に夢を頂いた大人として社会に「食の価値を還元したい」です。